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2004年 12月 23日
沢山の人たちが私たちの税金で殺されている国から、フランスの人質が無事に帰ってきました。
今かの国で私たちが行っていることを思えば、そこでの無数の死、死よりも惨い生を踏まえれば、ここで安易に祝意を表することは矢張り根本的におかしい気はします。 それでも。 おめでとうフランス。とにかく、良かった。心の底から、祝福と握手と抱擁を。 反戦翻訳団さまより転載。転載元には、下方に四月の日本メディアの面白記事が沢山紹介されていて、並べ読むと本当になんというか心の底から笑えます。 以下転載 【解放されたフランス人の人質たちが自国に向かっています。】BBC News(2004/12/22,14:08GMT) 訳者より:イラクで誘拐されたフランス人記者2人が解放されました。今回は、BBC Newsより12月22日の記事を二本訳してみます。 原文:Freed French hostage arrive home 翻訳:203号系統 イラクにて4ヶ月間に渡って人質となっていた2人のフランス人記者が解放され、英雄たちの帰りを待ちわびる故郷に向かっている。 写真:フランスの報道は、二人の解放を祝福しつつも疑問点も挙げている。 8月に斗士たち( militants )に捕われたGeorges Malbrunot氏とChristian Chesnot氏は、フランス到着の際にJacques Chirac大統領の出迎えを受ける予定である。 彼らの解放のために身代金を支払ったのかという推測に対して、Jean-Pierre首相はそれを否定している。彼らを捕らえていた集団が発表しているところでは、フランスが反戦の立場( anti-war stance )を採っていることを評価して記者たちを解放した、と云うことだ。「今まで受け取った中で、これは一番素敵なクリスマス・プレゼントです。」と、家族たちの言葉。 フランスのAFP通信によれば、二人はMichel Barnier外務大臣に手配により彼が待つキプロス島に向かってバグダットから飛行機で移動した。 「心から嬉しく思います」 18時(グリニッジ標準時17時)にパリ近郊Villacoublay空軍基地に、記者たちが到着するのに合わせるため、Chirac大統領はモロッコでの短期休暇を切り上げた。Chesnot氏(37歳)とMalbrunot氏(41歳)を評して、大統領は「彼らは、表現の自由そして報道の権利に身を捧げて、自ら危険な環境に飛び込んで行ったのである。」といっている。 **************************************************** 彼らが解放されたのは、回教徒組織と団体からの呼びかけに応えたことによる。更にイラク戦争に対するフランス政府の態度を評価するからである。 イラクのイスラム軍( Islamic Army in Iraq ) ***************************************************** 大統領は「彼らは非常に困難な試練を潜り抜けて来た」と国民に向けた演説の中で述べた。「全ての国民を代表して、二人に対する同情と敬意を表したいと思います。」彼らが解放されたのは一つにはフランス国民の連帯があったが為である、と彼は言う。「フランス人みんなが二人の解放のために行動し団結してくれたことが、実を結びました。私は全ての人々に対して感謝と敬意を表したいと思います。」 「政府の責任感が有る粘り強い行動、そして献身的な行動力を伴った努力を以て一致団結してくれた全ての職員たちのお陰で、得られた結果でもあります。」 火曜日にJean-Pierre Raffain首相が議会に対して、「心から嬉しく思います」との言葉を添えて、記者解放の知らせを報告した。 フランスの報道には、彼らの解放を取り巻く「謎」について、そして身代金支払いの可能性についての疑問についての記事が溢れている。しかしRaffarin首相は、政治家たちに対して「身代金要求も支払いも無かった」と述べている。 Christian記者の兄弟であるThierry Chesnot氏は、「素晴らしいクリスマス・プレゼントです。」と述べ、記者たちの体調も良好との話を首相の事務所から聞いていると、付け加えた。 報道合戦 Radio France Internationaleで働くChesnot氏と日刊紙Le Figaroの記者であるMalbrunot氏は、イラクで最も長く囚われていた西洋人となった。フランスの報道各社は彼らの解放特集を継続している。 二人はシリア人運転手Mohammed al-Jundi氏の車でNajaf市を走行中に誘拐され、運転手の方は、後に合州国主導のNafjaf侵攻の際に発見されていた。 ジャーナリストたちを捕らえていた集団―イラク・イスラム軍( Islamic Army in Iraq ; IAI )は当初は、回教徒に学校でスカーフを被ることを禁じたフランスの法律を破棄することを、要求していた。身代金を要求して来たとその後に報告されたが、火曜日のアラビア語テレビ放送al-Jazeeraによれば、記者たちは政治的な理由によって解放されたとのことである。 ************ 【解放されたフランス人の人質たちが自国に到着しました。】BBC News(2004/12/22.20:48GMT) 原文:Frees French hostage arrive home 翻訳:203号系統 イラクの斗士たち( Iraqi militants )の手中に捕われて4ヶ月間経ったのち解放された二人のフランス人記者が、英雄を待ち構える故郷に帰還した。 写真:彼らはイラクで最も長く捕われた人質となろう。 Georges Malbrunot氏とChristian Chesnot氏は、モロッコでの短期休暇を切り上げてパリに舞い戻ったJacques Chirac大統領の出迎えを受けた。 「私たちは体調良好ですが、困難な経験をしてきました。」とMalbrunot氏が発言した。彼はLe Figaro紙の記者である。また彼は、誘拐されていた時に二人とも酷い待遇は受けていなかった、と言う。殆どの期間中をバグダッド市内かその周辺に居て、しばしば複数の場所間を連れまわされたそうである。しかし、解放されることへの希望は決して捨てなかった。 フランス首相Jean-Pierre Raffarinは、彼らの解放のために身代金を支払ったのでは、と云う推測を否定してきた。彼らを捕らえていた集団も、二人はフランスの反戦姿勢( anti-war stance )の故に解放されたのだ、と発表している。 切り札としての反戦 Chesnot氏(37歳)とMalbrunot氏(41歳)はバグダッドからキプロスを経由し、そこでMichel Barnier外務大臣と合流の上、パリ近郊のVillacoublay空軍基地に到着した。興奮してはいたが健康状態は良好で、家族と長い抱擁を交わした後、Chirac大統領そして首相・国防大臣に面会した。 Radio France Internationaleの自由契約記者であるChesnot氏が言うには、「誘拐者たちが、私たちを直ぐに殺してしまう積りが無いことは、判っていました。」それでも、帰って来られて彼らは幸せだ。「何故かって、誘拐されていたらこの先なにが起こるか判らないでしょう。」彼の同僚の言葉である。「銃を持った覆面の人たちに取り囲まれているのは、とても辛い状況ではありましたよ。」とMalbrunot氏は言う。また付け加えて、「私たちは、自分がフランスのジャーナリストであることを切り札に使いました。」彼らは自分がアメリカ人では無いこと、そして合州国主導のイラク侵略を支持していないことを、誘拐者たちに訴えていたのである。 また彼は、10月初旬に試みられた保守派の議員Didier Julia氏による解放交渉を批判している。Julia氏は二人の同胞の生命を賭けに使った、と言う。当時フランス政府は、Julia氏の渡航の後、二人の解放交渉の努力が暗礁に乗り上げてしまった、と言っていた。(訳注) 歓喜 Chesnot氏とMalbrunot氏は、イラクの西洋人人質の中で最も長く捕われ続けたと言ってよかろう。二人を出迎えたChirac大統領は、国民全体の喜びを表明するために駆けつけた、と語った。火曜日の人質解放の知らせは、国中で歓喜を以て受け取られた。AFP通信によれば、パリ地下鉄では延着とスリへの注意を呼びかけるいつもの車内放送に割り込んで特別放送が流されたそうである。二人の記者を支援する人たちは、人質の苦境を訴え続けるためにフランスの街々に掲げられたポスターの上から「自由」と云う文字を貼り付けてまわった。 二人はシリア人運転手Mohammed al-Jundi氏の車でNajaf市を走行中に誘拐され、運転手の方は、後に合州国主導のNafjaf侵攻の際に発見されていた。 ジャーナリストたちを捕らえていた集団―イラクのイスラム軍( Islamic Army in Iraq ; IAI )は当初は、回教徒に学校でスカーフを被ることを禁じたフランスの法律を破棄することを、要求していた。が、フランスによって拒絶されていた。 パリ駐在のBBC特派員Allan Littleによれば、身代金支払いに関して公式に否定されているものの、フランス情報部員が誘拐者たちとの接触を求めて何ヶ月もイラクで活動し続けていたことは間違いない。また彼によれば、イラク戦争に反対している国の姿勢に対する報いと評価として二人が解放されたのだとフランス人の多くが考えている。
by sirokanippe
| 2004-12-23 20:24
| 反暴力
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