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2005年 09月 13日
>こんな時代でも覚醒した者がごく少数でもいれば、それが >何かの力にはなるでしょう。絶望せず、志しを共にする人々と >連帯する道を模索せねば。 たった今届いた、高校時代の恩師からのメールより勝手に転載です↑ みなさん。元気を出しましょう。元気を出して、それでもやるべきことをやりましょう。 この後の予測について「世に倦む日々」さんが予測を立てていらっしゃいます。非常に整理されていて、お読みになる価値ありです。この通りに動くにせよ動かないにせよ、こうした流れを防ぐ力はわたしたちにはないでしょう。「主権者は国民」という記述がない『教科書』が検定を通る時代です。だからといって、無批判に恭順を示すなんて、人並みのプライドがあれば到底出来ることではありません。 さあ、どうにか元気を出しましょう。そして、スーザン・B・アンソニー(←POPUPの警告は無視してください)や田中正造、ベアテ・シロタ、レイチェル・カーソン、我らの同時代人としては北川しま子氏、小川隆吉氏、ヴァンダナ・シヴァ氏、ボヴェ夫妻、パーシー・シュマイザー氏、良心的徴兵拒否をするイスラエル人、証言する元性奴隷の老婦人、そのほか多くの「諦めずにすべきことを択んだ」人々に繋がる道を択びましょう。生きている限りは仕方がありません。 さて。以下は当方のメモ。 ユーゲントシュティル、バウハウス、ドイツ及びロシアそして東欧の現代音楽に強い思い入れがある私は、ナチスドイツが政権をとるに至った経緯についてはちょくちょく読むことが多くありました。従って、今回の選挙の結果は、実はほぼ予測通りであったのは確かです。 今日の状況がヴァイマール末期に酷似している、とは、私自身8年ほど前から感じていたことであり、多くのひとびとから指摘されていたことでもあります。共通理解としてそれは既にありました。そして今日の本格的な崩壊を見たわけです。かつてのヴァイマールの市民がそうであったように、わたしたちは何も出来なかったということでしょう。しかしヴァイマールの人々はまったく未知の形の体験をしたのですが、我々はそうではありません。高校時代現代史を学んだ人間なら、誰しもが想起できることなのですから。 マスコミによって世論はどうとでもなることは、米国を見ていれば嫌でも判りますし、その遥か上をゆく総FOXな日本のTVにおいておや、です。私はTVを滅多に見ません。そんな時間が有れば本を読んだりネットで当事者や当事者に近いところの意見を調べたほうが有益ですし、目の前にあることの本質も判り易いからです。TVは実は単純な同じメッセージの執拗な悪質な繰り返し、言はば洗脳装置に過ぎず、三年ほど前から見るだけ時間の無駄と悟りました。そして実に多くの人々が、メディアに批判的な人すら、全国紙やTV、週刊誌から受けた操作済みの誤った印象に引き摺られて、そこで叩かれる人々をまた同じように非難する。その様子も飽きるほど見ました。従って、歪んだマスメディアの恐ろしさは、骨の髄まで沁みています。個人としては相当に判断力のあるひとたちすら、マスメディアから受けた印象を信じるのを、身近に多く見たからです。 今度もまた殆ど見ませんでしたが、どのような印象操作が行われているかチェックする目的で時々スイッチを入れることはあります。想像以上に酷いもので、やはり驚いたのでした。 これは私たちが高校生のころには既に散々言われていたことですが、選挙制度自体の大変な欠陥もあります。私自身、高校一年生のとき社会科で、「小選挙区制の欠陥と改善する方法」というテーマでレポートを提出したことがあります。そのときに私のやったことは、「最も沢山票を得て落選したひと、最も少ない票を得て当選したひと」を調べることでした。予想の斜め上をゆく酷さに、大分落ち込んだのを覚えています。「こんなの選挙ってゆわない」というのが私の感想でした。改善方法も、15.6歳の頭でも容易に思いつきました。「そもそも小選挙区制自体ゴミだけど、無理に使うんなら、せめて現状に合わせて毎回選挙区変えれば済むことじゃねーか。国勢調査なんのためにやってんだよ、利用すれば遥かにマシだろ。法をまともに解釈すれば現状ってどう考えても違法じゃん裁判所馬鹿じゃねえの。つか、ここに利用しないでいつ利用するんだよ、国勢調査自体物凄い税金掛かってんのに何やってんの」ほんとうに、素人の高校生でも思いつくようなことでした。 最高裁判官罷免権の投票方式について、子供のころ切れたのも私だけではないでしょう。「そんなんでまともな結果が出るわけないだろ、実質無いじゃん、罷免権」というのは、本当に、公民の教科書を読んで投票のやりかたを大人に聞けば、中学生だって直ぐに判る。子供でも判るようなひどい選挙制度の下に、わたしたちは居るわけです。だからといって一度も棄権したことはありませんが、これは当然のことですね。 そしてうすうす感じていましたが、与党の力を保持するためだけに存在する公職選挙法の悪法ぶりは、実際に市長選にボランティアで関わって骨身に沁みました。金があって理念のない、または金があって理念を説明したくないひとに有利な法律です。実に。「力に物を言わせてイメージだけのキャンペーンをせよ」と、あの法律は言っているわけです。 「華氏451度」のあの老人のように、隠れキリシタンのように、この後の世界を生きるほかはないのかと思うことも多々ありますが、私たちは生きているだけで加害者になってしまう立場ですからそうもゆかないのでしょう。 基本的に私は現実主義者なので、楽観的な予測は最初から不可能でした。だからといって、かつてのドイツや日本やイタリヤの大多数のひとびとと同じ道を歩むくらいなら、私は今日死んだほうが良いのです。 さて。日曜わたしは朝に選挙に行ってかなり苦渋の選択をした後、ピースウォークに出かけました。その後「公開秘密結社あじと」のパーティーに出向き、一時から八時半ごろまでそこに居ました。シュタイナーの滲み絵のワークショップ、その場の全員が踊りだしてしまったアフリカの素晴らしい太鼓演奏、インドネシアの留学生さんによるアチェの被害状況のスライド、書と墨絵のコラボレーション、「たう」さんと石井ポンペさんのセッションなど、盛りだくさんの内容でしたが、用事があって後ろ髪を引かれる思いで早めに帰宅。そして母と二人で打ちひしがれたのでした。 同じ頃知り合いは、お友達と飲みながら、「いつ日本が崩壊するか」を数値化していたということです。科学畑のひと二人掛かりで、どんな数字をどう出したのか、聞きたいような聞きたくないような……。「わたしに判るように説明できますか」と尋ねたところ、「飲んでましたからねえ」と言葉を濁されていましたが、果たして。 (文頭に出したのは、あじとで描いた「滲み絵」一号です。パーティー会場には小さなお子さんもたくさん居て赤ちゃんも居て、わたしは正直子供が苦手ですがそんな個人的なことはどうでもよくて、やっぱり彼らのことはそれでも自分より遥かに大事で、彼らが居るのに大人が勝手に諦める権利はやっぱりないなあと、改めて思い直しました。この「北海道」には先住民族も強制連行されて使い捨てにされたひとたちの祖先も居て、シャモが勝手に諦めたら、やっぱり駄目です) 追記「とくらBlog」さんにトラックバックさせていただきました。お互い元気を出しましょうねと思いつつ。
by sirokanippe
| 2005-09-13 18:53
| 災害
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